ある日の朝、右手の動きの鈍さに気付いた。病院にて検査の結果、リウマチとの事。
薬を呑み始め、それから、腕の痛さ、指の変形に苦しみながら通院して、3~4年が経過……。
私の仕事は老人ホームのヘルパーをしており、病院の先生は、
「すぐにでもその仕事は辞めた方が良い、軽い、楽しくなる仕事で時間に追われる事、人の目に触れること、
自宅で自由な(ごろごろしてると)身になると、寝たっきりになること間違いない!」
と言われたが、すぐに仕事を辞めることも出来ず10年の月日が過ぎてしまう。
その間に自宅の義母が倒れて、その介護も重なり、日中は老人ホーム、夜間は義母の介護、見かねた義妹が毎日通って介護してくれました。
義妹の都合の悪い日は、朝のオムツの交換程度をしてきました。食事は義父が担当してくれ、時間をかけてゆっくり介護していました。
そんなある日義母の容態がもっと悪くなり、入院させ、3ヵ月後に死を迎えたのですが、
その病院で妹と食事介助に行った時の事、義母の最後の言葉が、「母ちゃん!ありがとな!」
そのような言葉が義母から聞かされるとは思ってもいなかったので思わず耳を疑ってしまいました。
それから4日目に帰らぬ人となった義母。
あっという間に一年が経ち、新盆を迎えるにあたり大工さんが入り、大工さんも私の姿を見て可哀想になったのか、
「大変そうだね!痛いのかい?もし良かったら騙されたと思って陶板浴に通ってみるかい?長い目で通ってみな」と、
紹介されたのが成田の環境回復サロン「叶」でした。
2008年4月、藁をも掴む気持ちで尋ねてみた。環境回復サロン「叶」の社長は、腕を見るなり、
「10回程連続で入浴してみて下さい。その上で判断しましょう」
そう言われ6回ほど入った時、パンパンに腫れていた腕に皺が出て、柔らかくなっていました。それを見て、
「これなら、続けていれば治りますよ!」そう言ってくれました。
それからの毎日、ものに憑かれたように3ヶ月、腕は日増しに楽になり、
腕をねじることが出来なかったのに、簡単に回るようになり、やっとトンネルの先に光が見えたような気がしました。
通い始めて10日程経った頃に肩凝りが消え、坐骨神経痛も消えていくのがはっきりと確認出来たので
真剣に通ってみようという気持ちになりました。
「叶」の社長より、「いつでも待ってる、行き帰りの運転に気をつけて!」と言ってくれ、
主人も「今は自分のことだけ考えろ!」と言ってくれた。
自分のためにも何とかここで頑張らなくてはと思い、半年間友人との約束も一切せずに通い詰めました。
薬の服用もお医者さんの指示とは違い、自分なりに変更していき、08年の10月に病院へ行き、採血して頂く。
先生も結果を見て、数値が低くなっていることに、どうしたんだろう?と頭を捻っている。
とりあえず「今度は12月に検査に来て下さい」と話し病院を後にした。
ここまで来る間に何度死のうと思ったことか……。ある日主人に話したところ、富士の樹海を教えてくれた。
最後の晩は娘と自宅で過ごそうと、自分で選んで行けと、そして現地に着いたら迷うことなくすぐに薬を飲むんだよ、
迷った時の苦しみは死ぬ時よりも辛いからと、話を数多く聞かされているからな!と教えられました。
こんな話も実行する事もなく、今から思えば冗談で終わったので、今の自分がある。
藤代雅子様 千葉県印西市
<続く>
環境回復サロン かなえ
千葉県成田市飯田町124-17
TEL 0476-26-0174
http://touban-kanae.com
抗酸化工法をあそび隊ニュース号外NO.22
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