環境回復サロン「かなえ」に通っている間に、同じ病の人にも出会えた、本当に嬉しかった。
同じ痛みのわかる人に出会えるなんて、姉たち以上に親しみが沸いてきた。お互い励ましあい暖かい言葉を掛け合っている。
何度この病気に負けそうになったかな? 社長にどんなに助けられたか分からない、この年で気儘に通えている自分に気恥しい。
その日、その日、自分を曝け出している自分に……。馬鹿な自分に恥ずかしさを感じる。これがもしかしたら病気なんだね!
2008年10月にお医者さんで検査を受けると、「こんなに良くなった例はない!もう大丈夫、通院の必要なし」と言われました。
間もなく、義母を見送って3年が経とうとしている頃、認知症の義父の不可思議な行動が日増しに進んで来ていた。
とても寂しがり屋になり、目を離せないほどではないのだが、何事あっても大変なので、日増しに陶板浴に通う回数が減り、
回復しかけたリウマチの復活が気にかかる。
そんなある日、義父から、「母ちゃんはどこから嫁に来たのかい?」と、
前からの素振りで解っていたが、やっと尋ねることが出来たと喜んでいた。
成田とか、佐倉からだよと答えるとその先を追及されるのが面倒なので、「アメリカから来たよ」開いた口が塞がらない!
びっくり、絵文字のような顔をして、「それにしちゃあ、日本語、上手いねえ……!」「うちのオヤジ、金もねえのに、
母ちゃん二人も作って、どうやって生活していくのかな?田・畑売って行くのかな?俺も心配で死ねない!」と、言っている。
「もう一人の母ちゃんってどんな人なの?」って訊いてみると、「とても大人しく地味な人だったヨ、今も二階に住んでいると思うヨ!
今度の母ちゃんは元気で活発で、よく車で出掛ける人だ!」
毎日痛みと闘い、会話、笑顔などあまりなかった。車で出掛けるとは、陶板浴に通うことだ。
介護度4の義父にも私の生活に変化のある事が判っているようでした。
そんな義父でもデイサービスを利用するようになった。あんなに社交性のあった人なのに、
デイサービスを受けることを拒否するようになった。
そんなある日、ドライブに連れて行った。印西のジョイフル本田の近く、日暮里~成田空港線の工事を見せに行った。
余程楽しかったのか、「母ちゃん、俺、いつ死んでもいいよな!」「うん、いいよ、もう楽になりな!
祖母ちゃんの面倒見てきたので……?」
それから一週間後、早朝に亡くなった。自宅で死亡したので警察の人達の質問攻めにあい、家族は疲れ果てた。
義父を送って1年忌の日が東日本大震災であった。
再び、復活した?リウマチと闘うべく陶板浴に通うこと決心!
そして時々、リンパマッサージを受けるようになり、とても臭い寝汗が出るようになり、
一晩に3枚から4枚ほどTシャツを取り換えるほど身体に変化が見えてきた。
3~4か月間続いた手首の腫れも見る見るうちに落ち着いてきている。排尿の回数も増えてきた。2ケ月に一度採血検査。
病院の先生も数値には問題がなくなってきたと言っている。これまで10数年も通った病院なので、
「検査に来て下さいよ!淋しいから……!」と、先生に言われている。
また、最近真面目に陶板浴に通っている。手首につけた抗酸化ブレスレット、着けてから下痢が続いたこともありました。
そしてお腹の張りがなくなってきた。義父に私が丈夫になって来たことが解って貰えて嬉しかった。
安心したのかな?解っていたんだね?「アメリカから来たなんて嘘ついてしまって御免なさい!」…これも解っていたことかな?
自分の足で通える範囲、頑張りたい!目に見えてくる変化にとてもうれしい毎日です。
いろいろな方にお世話になったので、早く今の私を見てもらいたいです。
自信を持って、半袖の衣類が着られるようになった、手から肘にかけて肌色になり、もう隠さなくても良いし、
自分でも惚れ惚れする程です。
藤代雅子様 千葉県印西市
<完>
環境回復サロン かなえ
千葉県成田市飯田町124-17
TEL 0476-26-0174
http://touban-kanae.com
抗酸化工法をあそび隊ニュース号外NO.24
| その他の病気 TOP |