ままのはにいぶれっど
あまねが書いた詩が佳作に入りました。
印旛地区教育研究会が「ひざし」という文集をだしています。
担任の先生によると、どうやら私が小学生の時代にも存在していて
私も何度か賞をとったらしい。ということが判明しました。
そんな歴史ある文集で賞をとれたこと。
誇りに思います。
でもね、大変だったの。
ちょうど夏休みに入った頃のこと。
先生が「文集に応募したい人」
と聞かれて娘は即挙手。
いざやろう。となった時は
外ではプールの授業が始まり
その音で集中できず
詩を書くよりもプールに走ったそうです。
その日迎えに行くと
担任の先生から経緯を伺い
「お母さん、家でがんばってきて」
って肩をたたかれました・・・。
まず「詩」ってなにかを理解させ
自分の気持ちを全てノートに書き出し
表現を単語単位で修正し
文章を組み立て
清書。
なんといってもやる気を継続させるのがたいへん。
集中させるのがたいへん。
正直いって
これは私がもらうべき賞だわ・・・。
と、母は思いました。
他に作文の部で賞をとっている1年生の文章をみると
とても無理。
1年生じゃこんなにかけないよ。
原稿用紙4枚ほどの
長い文章はもちろん無理だと思うし、
言葉の表現に1年生らしさがすこしかけているような・・・。
というのが正直な感想です。
だから文章の最後に
指導した先生の名前が必ず入っている。
これには納得。
そうじゃないとかけないよね。
だからね娘がかいたこの文章って
本当に1年生らしい
背伸びをしていない
大人のちからを借りていない
素直な文章だな。
と、思ったんです。
この賞がきっかけに
やる気スイッチにつながれば
バンザイ!
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半年
半年前
4月にあまねは小学校へ入学。
まーくんはさくら組さんに。
皆が新しい環境になりました。
それから半年。
毎日の生活に慣れて
楽しんでいる姿がとても嬉しい。
入学前にひらがながかけていたあまねは
毎日なぜノートにひらがなを書かなければいいけないのか。
なぜ書き順やお手本通り美しく書かなければいけないのか。
そこを理解し怒りを抑えてじっくりと文字と向き合う。
こんなことから始まりました。
まーくんは毎日ママといたい。
保育園に行きたくない。
朝、泣かないでいけるように頑張ろう!
こちらもママは必死でした。
私が母親として人間としてできたこと。って
なんだったんだろう?って考えました。
私がいくら
「やりなさい!」
「頑張りなさい!」
っていっても子供は動かないし聞き入れない。
だから最終的には彼らが求めた時がチャンスで
そこでじっくりと向き合うことだったのかな。
って、今思います。
半年間、彼らが求めてくれた時に
十分向き合って、彼らのペースに合わせて。
ってやっているうちに
なんだか自分も変わってきて。
「彼らにしてあげられる」
これって親として人として
とんでもなく普通のことなんだけど
それがとてつもなく
幸せに思えるようになってきました。
例えば
相手がいるから
朝食を作ってあげられる
相手がいるから
一緒に朝食を食べられる
相手がいるから
会話ができる
会話ができるから
笑いあえる
朝食をみんなで食べることが
こんなに楽しくて幸せだったんだね。
って、人生で初めて感じたんです。
今までは
朝食を作らなくちゃ。
毎日の様子を聞かなくちゃ。
って、追い立てられてて
なんか義務みたいな。
そんな考え方だったように思います。
彼らと一緒にできること。
彼らにしてあげられることがある。ということ。
っていう私の気持ちの変化で
相手がいることに「感謝」の気持ちが湧いてきて
さらに笑顔が増えて
こころのつっかえがなくなって
素直になれて、楽になりました。
子供達の笑顔も自然と増え
毎日の生活がもっと楽しく幸せになりました。
「日々の出来事に感謝の気持ちを」って
よく教えられたけど
この半年で実践できて
初めてその本当の意味がわかったような気がします。
また半年後。
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金魚
夏の最後の思い出にと
千葉県白井市の一番大きなお祭りへ
行ってきました。
そこであまね(6歳)は
とうとう金魚をゲット。
もう何年も前から
お祭りへ行くと
「金魚したい」
って言われていて。
基本私が小さいころ
金魚を飼っていたころがあり
死んでしまったときのことを考えると
まだ早いかな。っていう
母の考えです。
それで
「小学生になって自分で
お世話できるようになってからね」
と、言い続けてきました。
去年の春から
おたまじゃくしを飼い、
きちんとかえるになってから
田んぼに返すことができるようになり
そろそろいいかな。
って。
生き物は弟のまーくんも興味津々。
毎日大事に大事に育てて
毎日1時間おきに
「金魚のごはんまだ?」
って聞かれています。
とりあえずその気持ちを
大事にして欲しいので
少しバージョンアップさせて
モチベーションをキープさせています。
金魚+水槽+水草で
私は10年金魚を飼いました。
永く元気でいてくれるといいね。
まーくんはくじ引きハズレのわんちゃんで
ご満悦♡
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プラレール
不意のプレゼントに大喜び。
世のこどもは今の時代
みなプラレールを経験。
昔では考えられない贅沢。
二人とも満面の笑み。
幸せだよねー。
夢中で電池いれて
レールをセットして。
新しいビッグトーマスを
我先にといじくりまわすおふたりさん。
3台の列車が走るだけで
その雑音に母は急かされているようで
落ち着かず。
さらにビッグトーマスの仕掛け音に
完全に踊らされ。
やれやれ。
たった1時間半のお遊びなのに
なんか丸一日歩き回ったよな
達成感。
朝起きて一番に箱から
ジェームスを取り出してきた怪獣。
そんなに好きなら・・・
ちょっとジェームスさんにお力を拝借。
今日だけは新しいジェームスに助けてもらって
「今日泣かないで保育園行ったら
また夜、プラレールやろうね。」
で、久しぶりに涙なし。
満面の笑みで保育園へ行った
怪獣(3歳)です。
どうもありがとう。
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習字
夏休み残り少なくなり
娘のあまねはそろそろ宿題の追い込みです。
やらなければいけない宿題と
できればやったほうがいい宿題。
できればやったほうがいい宿題(全部コンクール出品)を
とても気合い入れて
「やりたい!賞をとりたい!」
と息込んでいた夏休みの始め。
おばあちゃんが毛筆の先生ということもあり
私はおばあちゃんに
「あまねに習字を教えて欲しい」
とお願いしました。
毎日コツコツと
おばあちゃんからの特訓を受けるも・・・。
なぜかイライラして
おばあちゃんが指導するも
自分の意見を突き通し
素直に直さない。
家族が教えてると
ついついわがままになって。
だから学習塾や習い事が流行るわけね。
と納得した母。
もう娘のイライラも限界かな。
と感じたので
今日は私が高校の書き初め以来
久しぶりに筆を持ちました。
娘の前でひたすら書き、書き、書き。
30分書き続けました。
その姿を見ていたあまねが
なんかふっきったみたいで。
「ママ、書かせて」
それから30分自分なりに集中してかいたあまね。
まったくの初めての習字が
5回ほどの練習で
大きくかけるようになって、
太い筆も、小さい筆もなんとか文字になりました。
最初は回るところが真っ黒なまるになっちゃって。
イライラしながらもまー習得できたかな。
左下が私。
その他があまね。
久しぶりの自分の字。
学生の頃よりも優しい字になっていることにびっくり。
「字は人を表す」
そのとおりかもねーw
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残暑お見舞い申し上げます
久しぶりの投稿です。
残暑お見舞い申し上げます。
夏らしくないお天気がもうずっと続いていますが
夏休みいかがお過ごしになりましたか?
今年の夏は大きなことがあり
私自身、家族との過ごし方、
これからのこと。
いろいろと真剣に考える機会がありました。
家族第一。
やっぱりこれははずせません。
毎日みなで笑顔でご飯を美味しく食べられて
支えてくれる人がいる。
もうこれだけで贅沢なのですね。
日々感謝を忘れずに。
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お迎え
小学校へ入学してから
2ヶ月半のあまね。
学校では毎日毎日欠かさずに
朝の会で先生から必ず
一人一人確認されることがあります。
「今日の帰りはお迎えですか?歩きですか?バスですか?」
お迎えの場合は何時に誰が来るのか。
歩きの場合は誰と一緒に帰るのか。
バスの場合はバス停までお迎えに来ているのか。
木曜日は市でやっていただいている
「放課後こどもぷらん」というのに、参加しています。
市からスタッフの方が小学校へ派遣されて
希望者に制作や昔遊びなど
いろいろな体験プランをしてくれるという企画。
てっきり今日はそのプランがあると思って
あまねには
「4時半に車でお迎えに行くからね。
ママは今日パン教室だからそのまま
怪獣もお迎えに行くよ」
と伝えてありました。
10時40分。
小学校から電話がありました。
担任の先生からでドキッ・・・。
怪我でもしたかな・・・。
って思ったら、
「今日は放課後こどもプランがないので
2時45分のお迎えでお願いします。
本来、こどもプランは市が運営するので
学校はノータッチです。
しっかりスケジュールを把握していただかないと。」
あちゃー、やっちゃった・・・。
こどもが話しているお迎えの時間と食い違いがあると
電話がかかってくるくらいしっかりしているんですね(汗
こどもプランがなければ
校庭で遊んでいるでしょ。
っていう親の適当でだらけた考えでは
今の時代ダメなのです。
私が小学生だった頃は
学校の授業が終わったら
自分で歩いて帰る。
途中道草したりで歩いて10分の距離を
2時間かけて帰る。
そんなのは今の時代
周りの大人を困惑させる行動です。
昔の気軽な考えでは
通用しないのですね。
こんなに田舎だから大丈夫。
っていうのはもう甘い考え。
先日起こった隣町の松戸市で
誘拐殺人事件。
犯人がPTAの会長だっていうから驚きでした。
そんなことが現実に
すぐ近くの町で起きているっていうこと。
もっと重く考えなくちゃいけないですね。
いつ誘拐事件が起こっても
自分の子供が対象になっても
おかしくない時代になったのです。
今日は反省です。
ちゃんとこどもの予定も把握しないと。
自己紹介カード
あまねが小学校で作ったという
自己紹介カード。
なんでも教育実習のナナ先生がきて
その先生に自己紹介をしたのだとか・・・。
母は「すきなたべもの」をみて
撃沈しましたとさ。
すきなたべもの:がっこうのきゅうしょく
この前まで保育園へ行っていた頃までは
「ママが作るパン。」って、いってたじゃん!!!
なんでしょうね。
この寂しさ・・・。
ママはあまねがママのパンをたべて
「100点満点はなまる〜」
っていってくれるのが嬉しくて嬉しくて。
習い始めて1年。
超スピードで先生にまでなったのに。
今では学校給食に負けるとは・・・泣
こうやってこどもは親から少しずつ離れていくのね。
子離れの練習、私もしなくちゃね。
短冊
6月も後半になると
保育園から短冊が配られます。
七夕に向けての願い事を
家族皆でかいてきてくださいねー。と。
あまねが3歳の頃から始まり
なんだかんだ毎年
母は楽しみながらどうしようかなー。
と、ぼーっと考えにふけったり・・・。
「願い事どうする?」
「何になりたい?」
「どこ行きたい?」
子供達に質問攻めして・・・。
まだ怪獣は3歳だから
願い事っていう意味がわからないし、
字がかけるようになる年中さん頃までは
母が代筆。
我が家では家族みなの願い事を
短冊にいっぱい書いて、
イラストをちょこっといれるのが毎年恒例。
お友達のお母さんからは
「かきすぎでしょー!」
って毎年いわれてるけどね・・・。
短冊と向き合うと
前の年にかいた内容を思い出すのだけれど
毎年毎年、ほぼほぼ願いが叶うのだよね。
本当に毎年すごいなーって思うのだけれど。
去年、叶わなかった一例
●プリキュアになりたい。あまね
去年、叶った一例
●ディズニーシーに行きたい!あまね
→叶ったブログはこちら
そして今年の短冊に込めた願い事、夢は・・・
ハードルがちょっと高いかもしれないけれど・・・。
毎年お友達のお母さんに見られて
ツッコミがはいるけど(笑
つっこまないでね。
さてさて、七夕になぜ短冊に願い事をかくのか。
ちょっと調べてみました。
■短冊に願い事は江戸時代
笹竹に短冊をつるして願い事をするようになったのは、江戸時代から。手習いごとをする人や、寺子屋で学ぶ子が増えたことから、星に上達を願うようになったのです。本来はサトイモの葉に溜まった夜露を集めて墨をすり、その墨で文字を綴って手習い事の上達を願います。サトイモの葉は神からさずかった天の水を受ける傘の役目をしていたと考えられているため、その水で墨をすると文字も上達するといわれているからです。こうした本意を踏まえると、短冊には「○○が欲しい」というような物質的な願いごとではなく、上達や夢を綴ったほうがよいとされています。
暮らし歳時記より抜粋
http://www.i-nekko.jp/nenchugyoji/gosekku/tanabata/
本当の意味ではちょっと違うかもしれないけど
毎年この短冊が一つの目標になっているのは確か。
目標や夢、願い事をもって、叶えるためにがんばって
それで笑顔でいられるなら
そんなに幸せなことはないと思うのです。
今年もがんばろう!